廃墟の教会


小俣駅前にある廃墟。屋根の上に十字架らしきものが残っていて、どう見ても教会です。なかなか趣のある建物だと思うんですが、これだけ朽ちてしまうと再利用は難しそうです。
駅前とは言っても小俣駅自体が殆ど乗降客のいない無人駅で周囲にあまり人通りはありませんが、それにしてもこれだけの建物が人々から完全に忘れ去られているのは、なんとも不思議な感じがします。地元の人にとっては、既にこの廃墟は風景の中に溶け込んでいて、意識の外に置かれてしまっているのでしょう。



写真を撮りながら、もしかすると幽霊が写ってるんじゃないかって、ちょっと心配になりましたw

ポストが赤いのは

立派なポストです。
『ひとつの茶碗で宇宙を語れるのは日本人だけだ。』なんてことを言いますが、確かにこのポストの存在感は私の心にグッとくるものがあります。判らない人には、判らないと思いますがw
大体、道路から外れた庭の隅にポストがあるなんて変です。このポスト、本当に生きてるんでしょうか?・・・いや、ポストが生きてるってのも変だな・・・このポストに投函したら、今でもちゃんと相手に届くんでしょうか。もしかしたら鬼太郎の妖怪ポストみたいに、秘密の連絡用のポストなのかも。



試しに今度、自分宛に手紙を書いて投函してみようw

旧小俣郵便局

体力ない私は、やはり山道よりも平らな道を好みます。特に好きなのが、涼しい川べりの道です。だから用水路のある旧街道なんてところは、大の好物です。足利と桐生の境にある小俣の集落には、まだ水車の残る用水路や三角屋根の工場があり、明治から昭和にかけてのこの地方の典型的な風景を見ることができます。

最初に紹介するのは県道から南側にひとつ入った旧道に残っている昔の小俣郵便局の建物です。ここは現在、個人の住宅なので特に看板などはでていません。なので車で通った場合、気がつかないで通り過ぎてしまうかもしれません。庭先にある旧型の赤いポストが目印です。



ただ、建築年などのデータを失念してしまいました。判明したら、また書き直します。すみません。ペコリ。

こけしに似た人たち

龍舞の駅前を歩いていたら、交通安全を叫びながらバス停に並んでいるこけしに似た人たちを見ました。


龍舞という地名は、ちょっとカッコいいので以前から気になっていましたが、今回の散歩中に龍舞の休泊小学校の隣にある賀茂神社の看板に、それらしい記述があるのを見つけました。
貞観三年(861年)に羽生の方で反乱が起こり、上野の国司であった藤原長良が勅命によって討伐をしました。その戦いの際に長良は利根川の川岸にずらっと細長い陣、いわゆる長蛇の陣を布いたんだそうです。で、この龍舞の地を中心に四神すなわち青龍・白虎・朱雀・玄武の四本の旗を立て、戦いを挑みました。すると青龍の旗が風に舞い一匹の龍に変化して空に駆け上がると、いきなり真っ黒な雷雲が現れて土砂降りの雨となりました。長良軍はその雷雨に乗じて奇襲を行い、反乱軍を蹴散らしたのです。
この藤原長良という人物、桐生の方でも蛇退治の伝説を残していて、彼を祀る神社がいくつもあります。ここで語られている蛇や龍と言うのは、おそらくは川のことなのでしょう。とすれば長良という人物は治水に関して何らかの功績があったのかもしれません。

ちなみに休泊小学校の休泊というのは大谷休泊のこと。彼は戦国時代に活躍したこの地方の行政官で、多々良沼の防風林や用水路の建設などの開拓事業に生涯を捧げた人物です。

龍舞駅

東武小泉線の龍舞駅は1942年(昭和17年)に建てられた趣のある木造建築の駅舎が殆どそのまま、もちろん現役で使われています。無人駅ですけど。待合室の木のベンチや改札の雰囲気はまさに私好みで、まるで映画の中に自分が入っていくような感じが味わえます。

この群馬と栃木との県境に広がる田園地帯は、岩井俊二監督の映画『リリィ・シュシュのすべて』のロケ地となったところです。岩井監督は『花とアリス』という作品でも足利で撮影しています。だいぶお気に入りのようですw。散歩の前にこの二作品をDVDで予習をしておくと、より楽しめるかもしれません。
ただ、このコースは歩くとなるとあまりに広いので、自転車の方がいいかも。

塚廻り古墳第四号古墳

いやあ、暑いですね。梅雨はドコいっちゃたんでしょうかw

ついでと言ってはなんですが、太田市の龍舞にある塚廻り古墳から見た碓神社の杜の写真です。
この写真だと近そうに見えたりしますが、それは周囲に何にもなくて遠近感がおかしくなってるからで、うっかり歩いていったりするとなかなか大変です。水田の上を渡る風は涼しいですが、日差しから逃げ隠れするところがありませんから、飲み物と帽子は忘れずに行きましょう。

ここには七つの古墳があって、この四号墳からはたくさんの象形埴輪が見つかっています。墳丘自体は本当に小さいものですが、出土した埴輪がリアルに再現されていて、マニア心をくすぐります。よそではあまり見られないタイプの古墳です。推定築造時期は6世紀の中頃。国の重要文化財に指定されています。
こうした小さな古墳が荒らされずに綺麗に残っていたのは、おそらく渡良瀬川利根川の流れている場所が移動したために、人の多く住んでいる場所が時代によって変わってしまったからでしょう。

ここから見る夕焼けはとっても綺麗ですよ。

碓神社のウス石

まだここの使い方に慣れていなくて、オロオロしながら書いています。

昨日の続きです。
碓神社・・・ちょっと難しい漢字ですね。ウス神社と読みます。
その名前の通り、杜のはずれにウス石と呼ばれる丸い穴の開いた大きな石が転がっています。神社に向かう道の端にあるので、すぐに見つけられると思います。丸い穴は明らかに人工的に加工されたもので、確かにウスのように見えます。
同じような石が神社の境内にもあります。これは間違いなく、昔ここに建っていた建築物の礎石でしょう。それも、かなり大きな建物だったのではないでしょうか。
残念ながら、この石だけでは建物の規模や時期はわかりません。昨日も書いたように、現在は見渡す限りの田園風景ではありますが、碓神社の周囲には古代の遺跡が点在しています。ですから、ここを発掘してみたりすると、意外な発見があるかもしれません。

ただ、この石を動かすと天変地異が起こると言う不吉な言い伝えが残っていたりしますw。